0
0

誕生と旅立ち

私も父のように、自分の死を通して、学びそして愛というギフトを与えられる生き方をしたい。

父が急に亡くなってから早いもので1ヶ月半が過ぎた。
英語ではGriefと言われる、死別などの深い悲しみ、日本と海外ではこの悲しみ方も、周りのサポートの仕方にも違いがあり、両サイドにそれぞれの文化を感じ良いところ見つけることができる。

周りにいてくれる人々、そして離れた所からも送っていただく愛を噛み締めている。
日を追うごとに心の深いところにある悲しみと向き合い、その悲しみの少し先にある多くのメッセージを、涙を流すことなく受け取れるようになってきた。

「今、この学びを書き留めておこう」そう思える日がやってきた。
そして私にとって書くこととは、自己表現、自身の整理にもつながるある形のヒーリングである。
そう思えた今、父が亡くなった時から今までの感情と学びを皆さんとシェアしたいと思います。
悲しい話に感じるかも知れないけれど、人が亡くなるのは、悲しみだけではなく、沢山の気付きと学びに溢れていると同時に、改めて誕生と旅立ちがあることを実感する。
人と関わる以上、必ず直面する死。

悲しみを消化できた時に初めて、亡くなった方から私の人生にパワーが注がれる。
そう、最後には愛に溢れ元気になれるんです。

長くなってしまいますが、ゆっくり時間のある時に読んで頂けると嬉しいです。

Featured images by Atsushi Sugimoto

なんの前振りもなく、心臓発作でいきなり倒れ、そのまま普通であれば即死なところを48時間生き抜き、父は地元の病院で息を引き取った。

間に合わなかった。

親の死に目にも会えなんて、最悪な親不孝もの。
父が自分で決めた ”最後の息” を吸い込む瞬間に、私はその場に、彼の横に居てあげられなかった。

そして父を取り囲み、順番で付き添い、寝ずに居た家族達のことすら何も手伝えず、やはり私は完全に家族から離れきった存在になっていた。

孤独感に包まれた。

頻繁に電話で連絡し元気な声を聞かせたり、孫の姿を定期的に見せたりなんて出来ていなかったくせに、急に父が恋しくなる。
小さい時に握っていた、大きくて温かいあの手が急に恋しくなった。
「私のこと待っててくれなかった」
「父が倒れた知らせを聞いたときに、なぜ自分の家族のことなど気にせず、仕事も投げ出しすぐに日本に向かえなかったんだ」
「もっと早く日本から連絡が来ていたら間に合っていたかもしれない」
いろんな理由で自分や他人を心の中で責め始める。

あんなに不安と恐怖でいっぱいになりながら飛行機に乗ったことは、今までにない。
母国に帰る気持ちとは思えない恐怖、帰りたいけどかえりたくない複雑な気持ちで早朝に家を出発し、神奈川の実家に着いたのは夜中だった。

緊張しきった私を”上質のジョーク”と、元気を振り絞って優しさいっぱいに向かえてくれた私のすぐ上の姉(3女)。
私はこの人をいつも見習い、尊敬し、子育てを頑張って来た。もう絞り出す涙も残っていないと言いながら、今に至るまでの詳細を全て話してくれた。
子育てを終えた彼女、自分の好きなことや、好きな人と人生を楽しむどころか、父、そして寝たきりの母と同居しながら面倒を見ていてくれている。
彼女がいるから私は今、自由に好きな場所で自分の生活を送れている。

姉はどんなに辛かっただろう。
父親が倒れたという知らせの電話を病院から受け、父を看取り悲しむ間も無く葬儀場と全ての打ち合わせを終わらせ、私が到着した2日後にはお通夜を迎えようとしていた。
「いつもならない電話が鳴りっぱなしよー」とか言いながら、笑顔を絶やさずにテキパキ動く彼女は、この凄まじい4日間、本当に、本当にどんなに辛かっただろう。

いつも履いているジーンズが2サイズくらいブカブカになっていた。。。
みんなのご飯を作りながらも、自分は何も食べていない様子。

「じゃあ私の任務はご飯作りだ!みんなを食べさせなきゃ。」勝手に任務を感じ、家族のためになんでもいいからやりたいと思った。

「もう私はお父さんの顔をたくさん見たから、明日は綺麗にしてもらったお父さんの顔、あんた見ておいでよ」そう声をかけてくれた姉。

会いたいような会いたくないような。まだ複雑だ。

夜、父が寝ていた布団で寝ようと試みたが、もちろん全く眠れない。

次の朝「もう父の魂は彼の身体の中にいない」そう思いながら目覚めた。そういうことには全く鈍感な私、でもその受け取ったメッセージに「あ、そうなんだ」とすんなりと思えた。

納棺に立ち会い、その場でやっと父にあえた。
着物を着て畳の上に横たわってる姿からは、もう全てが完了している感(揺すったり、泣きついたりしたからって心臓が動き出したりするような様子なんて全くない感じ)がいっぱいで、ただただ寝ているようにしか見えなかった。
穏やかな顔、やっと握れた父の手、冷たいけどまだ少し温かい気がした。
本当にただ寝ているようにしか見えない姿、実感が本当に湧いてこない。

亡くなった人に着せるもの、持たせるもの、三途の川を渡るのに必要といわれるお金、そのお金を入れる袋、足袋は履くのか否か。無宗教で執り行うこともあり、いろんなことを決めなくてはいけないらしい。
「お父さんはそのままで、もうすでに満足で幸せで、準備はできている」そう私には見えた。
私の7歳の息子が私の出発前に一生懸命に編んだ “God’s eye – 神の目”と呼ばれる飾りを、父の両手に持たせた。私の勝手な解釈だけど、これに掴まって、天高く気持ちのいいところに飛び立って欲しいという願いを込めた。

父が応援していた野球のチームのグッズや好んできていたシャツ、いろんなものを棺に入れながら、笑いが生まれる。
私たち家族は本当に笑いが絶えず、そのお陰で、心の浮き沈みも強烈ではなくいられた。笑いの力は素晴らしい。

私には歳の離れた姉が3人いる。
みんな歳が近く、私だけ7つ離れている。一番歳が離れた姉はひとまわり近く離れ、母のような存在でもあった。2番目の姉は、私が小学校に入る頃にはもう家には居なかった。私が大きくなった頃にはみんなそれぞれに忙しく、私はある意味半分一人っ子みたいに育った。
キッチンにいる母にベッタリとくっ付き、父が帰宅すると、魚をツマミにお酒を飲みながら野球中継を観る父の膝の上に座った。後ろから包まれる背中の温かさ、低い声、いつまでも座ってていい膝の上の全てが居心地がよく、側には猫が寝ていて、私の大好きな場所だった。

お通夜と告別式を無事に終え、心から思ったことは、これが娘私だけ、一人だったら、どうやって成し遂げられたであろうか?
絶対に無理である。。。でもやらなきゃいけない。

私はほとんど何もできていなかったけど、それぞれが役割を分担し、支え合っている姉たちを見ていると、姉妹とは何にも代えがたい、両親から与えられた最大のギフトなのである。ということは、私達が我が子に与えてあげられる最大のギフトということである。

お通夜も告別式も初めてとり行った私たちにとっては、しきたりなど全てが未知。

まさに何事も経験。
日本の文化の深さと美しさ、ある意味やりすぎな部分と、商売じみた面も見て、私が死んだ時は絶対に海に流して欲しいとより強く思った。(笑)と、同時にああやって人々が集まり、親戚や家族がぎゅっとなり、故人をみんなで悔やむ時間もすごく素敵だと思った。

火葬の時が一番辛いといわれていたけれど、私にとっては、もう魂の宿らない身体には、「ご苦労様でしたと」言う感謝の気持ちしか感じなかった。
もう冷蔵保存されたりしなくていい、やっと身体という乗り物を綺麗に処分できる、そう思った。
火葬された骨はものすごく真っ白で綺麗だった、ポリネシアの諸島で見たサンゴを思い出し、「綺麗」と言ってしまった。係りの人が、骨を骨壷に入れる作業もまた興味深く、つま先から頭蓋まで素晴らしく丁寧に、説明付きで収めて行ってくれる。

ちょっと強烈すぎて、この場では書けないが、あの時に泣き崩れながらも発した姉のジョークは一生忘れない。(笑)

この人、こんな場で、どんだけ面白いんだろう?嘘でしょ?と本気で思い彼女の精神の強さを再確認。

父が亡くなってからの1週間は4姉妹が揃い、遺品を片付けたり、ご飯を食べさせあい、飲み、お父さんとよく観た野球中継を観ながら、お線香を順番に絶やさずお線香を焚き、今までの事を振り返った。
こんな姉妹との時間は私にとって初めてだった。
私が知らなかった事、いろんな話が飛び出して来る、そしてお腹が痛くなるまで笑ったり、野球中継にヤジを飛ばしたり、父を亡くした家族とは思えないほどに笑い声が絶えなかった。

まさに”笑うか泣くかの2択”だ。

父の人生はどんなものだったのだろうか?

昭和の人。

10代で東京に上京し、働き尽くし、趣味も娯楽もわきに押しのけ、家族のために生きてきた。

長年かけて築き上げ、バブルとともに一瞬にして全てを失った。

死ぬまで休むこともなく駆け抜けた人生。

全てを手放し、魂となって新しい旅立ちに出発した父は、”家族”という素晴らしい絆を持つグループを創り出し、そしてそこに纏わるすべての人へと与えてくれた。

長年愛を注ぎ込んでくれた両親の代わりに、私のそばに寄り添って人生をともに歩んでくれる人が現れ、そこにまた新しい命が宿り、また新しい絆が誕生する。

父の死から、家族というものの本当の意味、価値、絆の深さを学んだ。周りにいてくれる友人や近所の人、自分の人生で出会う全ての人の大切さ。
目に見えないところで、人は常にあなたの事を想い、祈り、静かに愛を注いでくれている。
そんな事をもう一度考え直すチャンスと時間を与えてくれた。

新しい命の誕生が素晴らしいように、死も立派な新しい旅立ちである。

今周りにいる人を愛する事、時間やお金、労力を惜しまない事。生きてる間は愛しきり、それを表現しきり、人から与えられる愛をも感じきる。
それが全力で生きるという意味なのではないか?

 

私の先生がこんなお話をしてくれた。

一生を1日に見立てると、朝目覚めると同時に命を受け、夜眠る時に命の終わりを受ける。
つまり朝起きることが生まれる事、眠りにつく時が死んで行く事。

そう思うと、1日1日を精一杯に生きるって意味がより短に感じられる気がして、心の奥に光が灯った。

愛することを、その愛を表現する事を惜しまないで生きて行こう。


バイロンの自宅で、子供達と作った小さなお祈りのスペース。

「コレおじいちゃんに!」子供達がクラフトした物や自然から集められた物が日毎に飾られて行く

日本から自宅に戻った私をお出迎えしてくれた愛。
ドアの前で家には入れず、泣いてしまった。

長々とストーリーにお付き合いいただき有難うございます。
皆さんも出来る事を出来る限り、思い立った時に、思い立った人に愛を表現していける毎日を過ごしてくださいね。
シンプルだけパワフルな、父から受け取ったメッセージ、大切に生きていきます。

You Might Also Like

No Comments

Leave a Reply